坂口安吾
底本:「坂口安吾全集 05」筑摩書房
1998(平成10)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「婦人文庫 第二巻第七号」
1947(昭和22)年7月1日発行
初出:「婦人文庫 第二巻第七号」
1947(昭和22)年7月1日発行
入力:tatsuki
校正:oterudon
坂口安吾
ミレンを残すぐらゐなら別れなければ良からうものを、つまり、彼、彼女らは悪妻とか悪亭主といふ世の一般の通念や型をまもつて、個性的な省察を忘れたのだ。悪妻に一般的な型などあるべきものではなく、否、男女関係のすべてに於て型はない。個性と個性の相対的な加減乗除があるだけだ。わが平野謙の如く、戦争をその残酷なる流血の故に呪ひ憎んでゐても、その女房を戦争犯罪人などゝは言はず惜しみなくホータイをまいて満足してゐるから、さすがに文学者、沈着深遠、深く物の実体を究め、かりそめにも世の型の如きもので省察をにぶらせることがない。偉大! かくあるべし。
然し、日本の亭主は不幸であつた。なぜなら、日本の女は愛妻となる教育を受けないから。彼女らは、姑に仕へ、子を育て、主として、男の親に孝に、わが子に忠に、亭主そのものへの愛情に就てはハレモノにさはるやうに遠慮深く教育訓練されてゐる。日本の女を女房に、パリジャンヌを妾に、といふ世界的な説がある由、然し、悲しい日本の女よ、彼女らは世界一の女房であつても、まさしく男がパリジャンヌを必要とする女房だ。日本人の蓄妾癖は野蛮人の証拠だなどゝはマッカな偽り、日本の女房の型、女大学の猛訓練は要するに亭主をして女房に満足させず、妾をつくらずにゐられなくなる性格を与へるためにシシとして勉強してゐるやうなものだ。